土日になんの予定もなかったので温泉に立ち寄ってきました。
温泉でいろいろ考えてたけど、上がったあとは何も考えずにこれ。 https://t.co/AUEEEobj7L pic.twitter.com/fQAVgxHNAZ
— なまずん🐟20代からインデックス投資 (@gameoftheweak) December 3, 2022
東京にもいろいろな温泉地がありますが、今日は郊外まで列車で出かけてみました。少しゆっくりする時間もあり、最近少し悩んでいることをゆっくり考えてみました。まあ、考えても解決するものではないんですけれど。
お湯に浸かりながら考えてみる
考えていたことというのは、いわゆる既得権益の話です。この言葉が嫌いな人もいますが、ここでは「私有していてお金を生み出すもの」という発想で使っているので、「資産」と言い換えてもらっても構いません。
さて、温泉の話をしていきますが、行ってきたのはそこそこ大きくてきれいな個人経営の温泉施設。初めて行ったところですが、交通至便とはとても言いがたいものの、周辺に観光名所もいくつかあり、東京から日帰りで往来できる距離にあります。休日の夕方というのもあって、地元と思われる人から息抜きに出かけてきたような人まで、それなりに多くの人でにぎわっていました。
入口付近にその施設の歴史について書いてあり、読んでみたところでは、その温泉施設は代々、その家系で継いできているようです。
で、お湯に浸かりながら考えていたことは、この温泉施設は、その家系のある種の「既得権益」だなあ、と。
もちろん、軌道に乗るまでにはさまざまな経緯があったでしょうし、現在も経営に継続的な努力は必要です。将来も安泰とは限りません。が、このビジネスは湧き出てくる温泉が基盤となる資源ですから、これらが揺るがない限りは収益が激減する可能性は低いでしょう。
地方に残っているそんな仕事
そして温泉資源に限らず、土地・建物や会社を持っていて、それを収入源の1つとしている人は津々浦々にたくさんいるはずです。
実は、私の実家には祖父の代から受け継がれてきた仕事があり、構造的には先の温泉施設と似たような環境にあります。「地方には仕事がない」とは言うものの、それは現代的で新しい仕事がないだけで、前時代的な受け継がれ方をしている、地域に結びついた半ば属人的な仕事はあるんですよね。
その収益で現在も私の両親は生活しており、私はこれまで育ててもらったことになります。都市部(ここでは地方都市も含めて)のサラリーマン家庭に育った人にはピンとこないかもしれません。
私がいま、「20代にも給与をたくさん支払う」というだけで、斜陽産業でつぶしが利かない仕事を選択できた理由は2つあって、1つは、平均年収以上は稼げる国家資格を持っていることで、これは教育による成果です。そしてもう1つは、この家系に「既得権益」化している地域の仕事です。これは先代(つまり私の親)が手放さないしない限りは、地域には切り替え先が基本的にないので保たれることになります。
そして現状、資格のカードも権益のカードも切っていないのですが、「保険」のような役割をもち、非常に大きな役割を果たしてくれました。
ちなみに勤務先の経営は年々厳しくなっていて、このへんは想定通りに進んでしまっています。5年以内には給与水準を維持できなくなるかも。
何を選ぶのか、選択の時期がくる
ところがこれらのカードはいつまでも持ち続けられるわけではありません。というのも、土地や建物が稼いでくれているわけではなく、この権益は仕事に結びついているので、そのうちこれを引き継ぐのか、外部に持っていくのかを考えなければならない時期がやってきます。
個人的な経験からすれば、このような権益を次代のために確保しておけば、生きやすさはかなり違うはず。そう考えてこちらにシフトチェンジしても良いのですが、私が引き継いだところで、この地域の将来は正直、不透明であり、すなわちこの仕事の前途も長期的には徐々に不透明になっていく状況に置かれています。
そしてこの地域の宿命ですが、教育の選択肢はごく限られています。人口減少・少子化によって、私が育った15年前よりも、教育環境は明らかに悪化しています。単に学校や進学塾の質・量だけでなく、ビジネスマンのような「大企業での働き方」をしている人も少ないため、子どもが実感として知ることができる世界の幅も限られます。
選べる立場にあるのは幸運ではあるものの、持てる選択肢から何を選ぶのか、あるいはよりよい別の選び方があるのか。お湯に浸かりながら、この施設のオーナーやその次代の人も悩むことはあるのかな、と余計なことを考えたのでした。
ちなみに、私の両親は30歳ごろまで東京で働いていましたが、まだバブルの余韻が残る90年代にこの街に戻り、その先代から仕事を受け継いできました。約30年前、地方の衰退がまだ顕著でなかった時代だったら、きっと私も同じ選択をしたと思います。
過去2代にわたって生活の糧として機能し、私には保険として機能したこの既得権益。次の代にはうまく残せる形があるのか、それともここで舵を切るのか。当面は漠然とした悩みが続きそうです。
もし、この権益を残せない(持たない)形になるなら、きっと教育にもっと気をもむ構図になりそうだなあ。あわせて、収益を生む金融資産などの投資で受け継げるような形をつくっておく必要がありそうです。
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