Twitterではときどき見かけますが、私は「他人のお金の使い方にケチをつける」ような発言は好きではありません。これは特定の投稿やテーマについて言っているのではなく、そういうことが話題になるたびに思っていることです。
その理由をざっとまとめてみました。
迷惑をかけなければ、人それぞれでよいのでは?
これがすべてではあるのですが、お金に対する考え方は人それぞれです。
際限なくお金を使い、そのために周りを困らせている無計画な状況なら問題です。しかし、人生のなかで「お金が足りない!」という状況にならなければ、お金をいつ何に使おうと、他人に大きな迷惑をかけることはありません。
自分が必要なものや大事だと思うことにお金を使い、人生という期間できちんと収支が合っているならば、まずはそれで良いのではないでしょうか。
よくお金の使い方で意見が割れるものは、不動産、車、装飾品、それから趣味性の高い高額品で、中には他人と比較して優劣がつくという意味で「地位財」と言われるものも含まれます。もっと言えば、これらを「見栄を張ってお金を無駄にしている」断言する人もいます。
もちろんどう思うかは自由ですが、私はそこまで極端には思っていません。そもそも「地位財」という考え方も、他者との比較を前提にしている点で本質をとらえていませんからね。
私だって、別にそうしなくても問題ないのに、東京のいわゆる人気のエリアに住んでいますし、別にそうしなくてもいいのに時計やらカメラやら筆記具やら好きなキャラクターグッズやらをかなり集めています。
見栄の要素も確かにゼロではないかもしれませんが、自分にとって便利だったり、満足感が得られたりするからそのようにしているのです。他人と自分をあまり比較せずに私が生きてきたという背景もありますが、他人に迷惑をかけず、自分が満足ならそれでいいですよね。
「ケチをつける」という行為は、むしろケチをつけている側に比較の意思があります。でも、そもそも他人と比較しても幸せにはなれないですよね。
他人のお金の話は、「死ぬまでにお金が足りさえすれば、あとは貯金するなり投資するなり使うなり、好きにすればいい(そして自分も好きにしている)」くらいの発想で流しておくほうがいいのではないでしょうか。
経済は誰かの消費で成り立っている
もう1つは、1人ひとりの消費は経済を成り立たせる重要な要素であるのに、それを無視しているような場合も多く、それに違和感を覚えます。
消費が増えればそれが誰かの収入になり、ごくごくわずかではありますが、投資家にとってはプラスの影響があります。逆に、多くの人が消費を抑えて経済が落ち込めば、投資家にとってはマイナスですよね。消費に関する経済指標を見るときと同じです。
投資は結局、お金を使っている人がいなければ成り立ちません。財やサービスを生産する人、消費する人、投資する人はどれが欠けても成り立たない相互依存的な関係であり、そして誰もが、生きていくには消費する人でもあります。「お金を使っている他人と投資をしている自分」を比べてどちらが良いと考えるのはかなり視野の狭い見方です。
資産形成を進めるには、どこかの段階で「さらなる収入を生む資産」を保有していく必要がありますが、資産をいつ、どのように作るかはそれぞれの人生設計があります。他人に迷惑をかけなければ、それぞれが自分の目的を達成できればよいのではないでしょうか。
同様に「生き方」にケチをつけるのもいかがなものか
私は比較的保守的な考え方をしているので、人生の前半で一定の資産をつくり、後半に楽をする戦略で進めてきました。ただ、後半に準備をするメリットももちろんあるので、それについてはどちらがいいかは人によって選ぶ道が違っていいと思います。
また、私の場合は資産を最大化することが人生の目的ではなく、楽しく幸せに生きるためにうまくお金と付き合っていくような発想で日々を過ごしています。ですので前述のとおり、人生の前半でも結構な「無駄遣い」も許容しています。
他人がどうとかではなく、見栄やら無駄やらではなく、これが、私にとって一番幸せな選択だと考えているからですね。
今回はお金に限って取り上げてみましたが、お金に限らず、他人の「生き方」についてケチをつけるような発言も時々見られます。たとえば、未婚・既婚、子どもの有無、収入の多寡などいろいろありますよね。
他人に迷惑をかけるような生き方ならそれは非難されてしかるべきですが、そうでなければそれも本人の自由です。それも踏まえると、他人のお金の使い方や、それを含めた生き方に口をはさむのは単なるお節介であるようにも感じます。
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